夢の会H29年下期報告

俳句作りを一層楽しめるようになり、定例の句会、吟行とも高い出席率が続いています。この楽しさをより多くの方と一緒に分かち合いたいので、新たなメンバーをお待ちしています。例会の参観も歓迎致します。

(連絡先:044-986-6953 池田 修 Email o-ikeda@mba.ocn.ne.jp

 

・吟行(5月26日)報告

平成29年春の吟行は、八王子市の高幡不動尊で行われました。高幡不動尊(真言宗智山派別格本山、高幡山明王陰金剛寺)は、新宿駅から30分、八王子・立川・多摩センターからもそれぞれ10分程度と交通の便も良く、関東唯一と称えられる平安時代の不動三尊の不動堂、仁王門、五重塔、大日堂などの重厚な伽藍が建ち並び、関東三大不動の一つとして古くから親しまれています。四季折々には、花が咲き、鳥が鳴き、木々が揺れ、俳句仲間には人気のスポットです。高幡不動尊には俳人も多く訪れており、芭蕉を始め石田波郷、山口誓子など名だたる俳人の句碑が境内のあちこちに残され、句材も豊富です。

当日は高幡不動名物の紫陽花には少々早かったのですが、新緑の中12名が境内を中心に俳句作りその後の句会を多いに楽しみました。

 

・吟行(5月26日)の作品

万緑に黄金の九輪聳え立ち・・・・・・・ひで

静けさや梅雨山寺の大太鼓・・・・・・・おさむ

若葉雨お地蔵さまのつやつやと・・・・・あきら

五月雨や護摩の読経のハーモニー・・・・かしん

お手綱のご縁賜る緑雨かな・・・・・・・もりすけ)

早咲きの紫陽花囲む句碑また句碑・・・・きよみ

咲き初むる山あじさいの雨の艶・・・・・しゅん

蕾持つ山あじさいに雨そぼろ・・・・・・雅凡

声明に包まれ不動梅雨に入る・・・・・・かめい

お不動の千古の森に抱かれて・・・・・・しょうじ

泥まみれ三歩下りてあやめぐさ・・・・・やえ

境内の新樹のもとに芭蕉句碑・・・・・・じゅん

 

・吟行(10月27日)報告

清澄庭園は一説に豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、明治11年岩崎弥太郎

の所有を経て、昭和7年に東京市が開園したものです。園内の大きな池の周囲に全国からの名石が数多く配置されています。また、池に突き出るように建てられた数寄屋造りの建物が庭園の景を趣きあるものとしています。10月27日の吟行当日は穏やかな晩秋の小春日和にめぐまれ、12名の参加者は思い思いのペースで句案を練りながらの散策の後、芭蕉稲荷神社や芭蕉記念館を巡り、芭蕉記念館別館で句会を開催しました。

俳聖芭蕉のゆかりの地にゆき、その空気を吸ったせいかいつもの例会とは違い、参加者は俳人に近づいたような顔つきに感じられました。

 

・吟行(10月27日)の作品

ゆるゆると清澄吟行秋日和・・・・・・・(しゅん)

蕉翁の遠きまなざし秋の空・・・・・・・(ひで)

街騒のかすかに届く秋の庭・・・・・・・(あきら)

「磯渡り」水面にほのと初紅葉・・・・・(かしん)

秋深し昔の栄華映す池・・・・・・・・・(たかし)

涼亭の回廊抜ける秋の風・・・・・・・・(もりすけ)

そこここに芭蕉の史跡菊日和・・・・・・(しょうじ)

萩零る俳聖眺む現世は・・・・・・・・・(きよみ)

秋日和鯉は大きく口をあけ・・・・・・・(かめい)

鵯騒ぐ現在現場に急行中・・・・・・・・(おさむ)

吟行の清澄庭園秋惜しむ・・・・・・・・(じゅん)

石蕗や伊豆の磯石黄に染める・・・・・・(雅凡)

秋天や金襴緞子を映す池・・・・・・・・(やえ)

 

・例会模様

平成二十九年五月十六日  兼題  夏めく

足裏に夏めく風の拭き掃除・・ ・・・・・(おさむ)

夏めくや信号待ちの白き列・・・・・・・(ひで )

窓際に小鮒のごとき鯉のぼり・・・・・・(かめい)

薫風や子供神輿にはっぴ群れ・・・・・・(しょうじ)

値札貼る筍掘りの深き皺・・・・・・・・(きよみ)

夏めくや芝生に集ふ女高生・・・ ・・・・(かしん)

飛び乗りてひと時扇ぐ薄暑かな・・・・・(しゅん)

無造作に街路樹剪られ夏に入る・・・・・(もりすけ)

あばら家へ道案内の十二単 ・・・・・・・(やえ)

ときめきを思い出してるれんげ畑・・・・(あきら)

夫が刈り妻が煮詰める庭の蕗・・・・・・(じゅん)

匍匐枝のゆき処なき雪の下・・・・・・・(雅凡)

 

平成二十九年六月二十日   兼題  虹

凡庸の二文字なぞる夕端居・・・・・・・(もりすけ)

がん検診パスして一息心太・・・・・・・(かめい)

本当は百合に生まれたかったの私・・・・(あきら)

余生とは不意の下闇下明り・・・・・・・(おさむ)

虹立つや黒姫山の髪飾り・・・・・・・・(かしん)

夏服や沙汰なき君を風に問ふ・・・・・・(きよみ)

虹を追い親を困らす童かな・・・・・・・(たかし)

父の日や父の二倍の歳となり・・・・・・(しゅん)

紫陽花の向うと交わす会釈かな・・・・・(じゅん)

青田かな風吹くままに靡きをり・・・・・(ひで)

枇杷たわわ半世紀まえの種飛ばし・・・・(やえ)

今年また青梅壺に漬け終へり・・・・・・(雅凡)

 

平成二十九年七月十八日    兼題 メロン

夜更かしの妻の寝息や明易し・・・・・・(もりすけ)

雲海や北信五岳揃ひ踏み・・・・・・・・(かしん)

青田行く車窓いっぱい磐梯山・・・・・・(じゅん)

初蝉や胸ときめかす男の子・・・・・・・(おさむ)

川風に乗るかの如く夏柳・・・・・・・・(たかし)

端居して庭眺む義母動かざる・・・・・・(しゅん)

メロン喰う退院の朝慌し・・・・・・・・(雅凡)

梅雨に咲く花の数ほど傘の色・・・・・・(あきら)

もたいなや円虹のなか岩手山・・・・・・(やえ)

メロン切る一人不満の五等分・・・・・・(かめい)

涼風や新生棋士の清清し・・・・・・・・(しょうじ)

枯れず咲く山百合母とセピア色・・・・・(きよみ)

 

平成二十九年八月十五日    兼題 木下闇

神鳴や砂場に一つ三輪車・・・・・・・・(やえ)

買はれゆく鈴虫の音の遠ざかり・・・・・(かしん)

あの時は全山の蝉が鳴いていた・・・・・(あきら)

路地裏に昭和をのこす秋の宵・・・・・・(たかし)

色かたち未だなれども式部の実・・・・・(もりすけ)

瓜の馬手綱捌きて父母還る・・・・・・・(きよみ)

蝉時雨七十二回目の祈り・・・・・・・・(おさむ)

鳳仙花弾ける横を猫通る・・・・・・・・(じゅん)

朝焼けの白き土蔵を染めてゆく・・・・・(しょうじ)

白豪寺へ大社の道の木下闇・・・・・・・(しゅん)

風に乗り雲名月の光消す・・・・・・・・(雅凡)

 

平成二十九年九月十九日    兼題  すすき

追分の群れて別るる秋茜・・・・・・・・(しょうじ)

すすき揺れ笑いこらえるかくれんぼ・・・(やえ)

浄土とは限らぬ西方鬼やんま・・・・・・(おさむ)

まだ慣れぬ風になびけぬ青芒・・・・・・(あきら)

記念品配る貴方も敬老日・・・・・・・・(きよみ)

ひたぶるにただひたぶるに秋の蟬・・・・(かしん)

天平の御仏集ひ秋深む・・・・・・・・・(ひで)

二人していただく茶請け長十郎・・・・・(じゅん)

秋の虹口説き半ばで消えにけり・・・・・(もりすけ)

八尾邑胡弓の響き雨誘う・・・・・・・・(雅凡)

とある朝庭の片隅虫の秋・・・・・・・・(しゅん)

胡弓の音未明の空に風の盆・・・・・・・(かめい)

箱根路やすすきの波の中に入る・・・・・(たかし)

 

平成二十九年十月十七日   兼題  水澄む

柿五つ見舞い返しの紙袋・・・・・・・・・(きよみ)

選挙権もたぬ南瓜の笑う顔・・・・・・・・(おさむ)

澄み渡る工場夜景望の月・・・・・・・・・(かしん)

水澄めば隠し通せぬものもあり・・・・・・(もりすけ)

禅堂の渡り廊下に寒露かな・・・・・・・・(あきら)

秋の蚊の痛いところを突きにける・・・・・(しょうじ)

秋の暮妻旅立ちて早七年・・・・・・・・・(雅凡)

初物の柚子の香のせて今朝の汁・・・・・・(しゅん)

秋高し飛行機雲の一直線・・・・・・・・・(ひで)

丹沢のせせらぎの音水澄めリ・・・・・・・(じゅん)

田舎道はないちもんめの秋夕焼 ・・・・・(やえ)

かくれんぼいたずら好きな望の月・・・・・(たかし)

屋根越しのスカイツリーや鰯雲・・・・・・(かめい)

 

平成二十九年十一月二十一日   兼題 冬日和

妻と居て語ることなき冬日和・・・・・(かしん)

言の葉に表裏あり紅葉散る・・・・・・(もりすけ)

赤セーター目元のたるみ隠せない・・・(あきら)

木枯や母似の媼追い越せず・・・・・・(ひで)

人も陽も家路を急ぐ冬の暮・・・・・・(じゅん)

冬日和六人乗りの乳母車・・・・・・・(たかし)

待ち人の笑顔降り来る冬日和・・・・・(しゅん)

大根煮る笑顔の姉の合格点・・・・・・(きよみ)

残る秋健康寿命日延べ中・・・・・・・(おさむ)

冬めくや選挙ポスター裏返り・・・・・(しょうじ)

立冬の鎌倉巡る老夫婦・・・・・・・・(雅凡)

パトカーとの写真をねだる七五三・・・(やえ)

幼子に振り廻されて冬日和・・・・・・(かめい)

 

・一句鑑賞           かしん

 

父の日や父の二倍の歳となり     しゅん

 

父の日は6月の第三日曜日。母の日に比べ世の中は大騒ぎしませんが、父の日をしみじみと過ごす人もいます。この作者がそれ。「父の二倍の歳となり」という詠嘆に心を揺り動かされます。私達は70歳前後。ということは、作者の父上は30歳半ばでこの世を去られたことになります。早すぎる。何があったのか。ご病気か。もしかしたら戦死されたのかもしれない。念のため作者に伺ったところ、父上は37歳で戦死されたとのこと。作者が2歳の時の悲劇。(因みにいえば、私は作者と同年齢。)

私の父は中国に出兵しましたが、生き延びて昭和21年に帰還しました。現地で何があったのか、多くは語らなかったようです。

一方でこの作者のように、父親が遺骨で帰還した子供は私の小学校のクラスにも何人かいました。当時は気にもしていなかったのかもしれませんが、今になって考えてみると、寂しかったのだろうなと思います。この作者もきっと、時々は寂しさを感じながら子供時代を過ごされたことでしょう。また、父上が亡くなられた37歳を通過する時には、特別な感慨があったことでしょう。

そして、父上の倍の年月を生きてきた今、父の無念さが今さらのように胸に迫ってきたのではないでしょうか。父の日を迎えて、この世に生を授けてくれた父への感謝と、ちゃんと生きて来ましたよという父への報告がこの句から聞こえるのは私だけではないと思います。

 

お詫びと訂正

シニアネット第50号(平成29年6月発行)に掲載の俳句サークル「夢の会」10周年記念俳句大会の記事中、斉藤雅はる氏の入選作品、「笈摺に鄙のもてなし蕗の味噌」について、「鄙」が「雛」と誤っておりました。

ここにお詫びして訂正させていただきます。

Updated: 2018年2月7日 — 2:08 PM

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